こ ん な 奴 で す ・ 干 柿
●1978年1月15日 大阪市内にて生を受ける。
●性別−男
●体格−180cmの58→63→67kg→72Kg
●職業−施設監視及び保守業務
●只今の特徴−やけに出てきた下ッ腹
車 歴
●結局、SJ30だけということになるのか…
ジ ム ニ ー と の 接 点
◆ジムニーとの出会い
時は1996年。免許所得を目前とした私・干柿、まだ十代。
当時からひねくれ者だった私は、人と同じ車、味気ない車、安楽な車を嫌い、
個性を嫌というほど感じさせてくれつつ飽きさせることのない自分の為の車を模索中であった。
屋根は開かないより開いた方が良い、レトロでアンティーク(なんだそりゃ)でオナゴ受けする車…と授業中も悶々とする日々。
VWタイプTやらII、ミニ、スバル360やらに触手を伸ばす日々…←おいおい、こんな車買ってたら大変なことになってた…ろうな
◆それはすなわち、SJ30との出会い
ある日。何かの用事だったかでK市内をふらついていると…懐かしいポンポン音と共に眼中に入ってきたのは…
K市消防局のネームが入った…何とSJ30FM。それも朱色。(90年代も後半だってのに…公用車ってとこが凄いです)
当時、この時代のジムニーというと緑や黄色しかお目にかかったことの無かった私は
その妙ちくりんな朱色とポンポンサウンドにノックアウトされてしまったようだ。
それからはポンポンジムニーのことで頭がいっぱい。あれを付けてこれを付けて、ホイールはこれ、タイアはこれ?
車を買う迄の過程段階で良く見られる妄想ショッピングほど楽しいものもないだろう。
助手席にオナゴを乗せてあんなことこんなこと…と授業が終わっても席を立てない(謎)な状況に陥ったりして
それはそれで楽しい思い出です。
◆そして遂に、相棒との出会い
当時レッツゴー4WDなんかを読み漁って得た情報によりジムニーのことならTACにおまかせ!!ということを知る。
早速、原付で羽曳野まで走る。
当時のTACというと、現在(2000年代初頭)のような
店舗 | 展示場 (大)と喫茶店 | 靴屋 | スタンド | ジムニーの墓場 | 鈑金ブース |
といった構成ではなく、
店舗 | 空き地 | 展示場(小)と喫茶店 | 靴屋 | スタンド | 空き地 | 鈑金ブース兼墓場 |
だったと覚えている。
(注・墓場とは実際の墓地ではなく、一桁からあるひなびたSJ30やJA71の展示場であった為、そう呼ばれるようになったもの)
そこにしなびたSJ30の赤い幌車が3台。現在ではそうそう見ることが出来なくなったが、当時はまだこのような光景が当たり前だったのだ。
真ん中に鎮座していたバッテリ上がりでエンジンすら掛からないSJ30に座る。結構程度もよく、室内もいい感じ。
何故かそのSJ30に心惹かれる感じで、事務所へ。
いろいろ話を進めていくうち、ディスクブレーキ化に関して訪ねてみると…
「あ、あれ元から付いてますよ ホラ フリーハブが付いてるでしょ」と写真を差し出す店員さん。
即決。車体19万。
それからの酷使と魔改造を経て、このSJ30は我が手元にやって来て幸せだったのだろうかと、自問自答することもたまにある!?
※ちなみに当時からの部品はフレームは当然ですが、フロントホーシングとハンドル周りとリアシートだけになってしまいました
そ の 他 諸 々
◆HNの由来
当時のSierra支部長氏に「柿色でくしゃくしゃのジムニーに乗っているから」と名付けられたもの。
他の支部メンバーも色々と名付けられていたようだが時間と共に忘れられてしまった模様。
で、当の本人はこのハンドルをいたく気に入り、現在に至っている
だが、SJ30がツルツルかつ綺麗になってしまったので、干柿ではなく、ただの「柿」になってしまった。
◆趣味
ジムニー 原付 鉄ヲタ ラジカセ収集
◆将来の夢は
もう大概の夢は果たしたので、これからは自分の周りの大事なものを守ることにします。
◆似ているといわれるもの
人間型交通誘導看板…安全太郎ではなく、板状のものです。阪神高速などの道路工事現場などで確認されたし。最近でもそれなりに見ることができます。
ご閲覧頂きありがとうございました。
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2003年12月2日修正
2004年6月7日修正、画像追加
2004年7月29日修正
2004年8月16日修正
2005年5月13日修正
2007年5月6日さらに修正
2007年7月9日更に更に修正
2008年10月12日 体重だけ修正…
2010年5月4日 修正入りました
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